LONG LIFE STORY寿命 50年〜

ブルー・ド・トラバイユ——フランスの青い作業着

襟だけの簡素な形に、大きなポケットが3つ。フランスの職人たちが着てきた青い上着は、色あせても形を変えずに、今も古着屋の棚に並んでいます。

/ FURUGI LOOP 編集部 / 長生きした服の物語

古着屋のアウターの棚で、青い上着が何枚も色の違うまま並んでいることがあります。濃い紺のもの、洗いこまれて空色に近くなったもの、肘や袖口だけが白っぽく抜けたもの。形はほとんど同じで、小さな襟、前に並ぶボタン、胸と腰に貼り付けられた大きなポケット。フランスで「ブルー・ド・トラバイユ(bleu de travail)」、直訳すると「仕事の青」と呼ばれてきた作業着です。

産業革命とともに生まれた上着

ブルー・ド・トラバイユが広まったのは、19世紀のフランスで工場や鉄道、工房が増えていった時代だと紹介されています。それまで労働者は決まった作業着を持たず、ふだんの服のまま機械のそばで働くことも多かったため、裾や袖が機械に巻きこまれる事故も起きていたようです。丈夫で安く、同じ形でそろえられる服が求められるようになりました。

作業着の歴史でよく名前が挙がるのが、1844年にリヨンで始まったとされる作業着メーカー、ラフォンです。同社は産業革命とともに生まれたブランドとして、大工のための作業ズボンやサロペット(つなぎのズボン)を生み出したと紹介しています。ブルー・ド・トラバイユの形そのものを誰が決めたのかには諸説ありますが、こうしたメーカーによって、職業ごとに使いやすい作業着が整えられていったと考えられます。

なぜ「青」だったのか

作業着が青になった理由も、いくつかの説明があります。ひとつは、18世紀のはじめにベルリンで見つかった「プルシアンブルー」が、安く安定してつくれる最初の近代的な合成顔料として広まったという話です。もうひとつは、世界の交易が広がってインディゴが手に入りやすくなり、値段が下がったことで、作業着の定番の染料になったという説明です。どちらにしても、汚れが目立ちにくく、安く染められるという理由が、青を選ばせたようです。

青い上着は、やがて工場で働く人たちそのものを表す色になりました。工場で働く人を「ブルーカラー」、事務の仕事をする人を「ホワイトカラー」と呼ぶ言い方は、今でも使われています。

汚れを隠すために選ばれた青が、いつのまにか、働く人の色になりました。

理由だけでできた形

ブルー・ド・トラバイユの上着には、飾りのための部分がほとんどありません。襟は小さく、ラペル(下襟)はありません。ボタンが前に並び、胸にひとつ、腰の左右にひとつずつ、大きなポケットが外側から縫い付けられています。腰のポケットには道具を、胸のポケットには手帳や鉛筆を入れる、というように、ポケットの位置と大きさには使い道があります。まっすぐな裁断で袖も広めにとられているのは、ふだんの服の上から羽織って、腕を大きく動かすためだと説明されています。

生地は、目のつまった厚手の綿が使われてきました。のちには、表面を起毛させたように柔らかい「モールスキン」も使われるようになったとされています。どちらも擦れや引っかかりに強く、何年も着て洗われることを前提にした布です。以前紹介したM-65やハリントンジャケットと同じように、機能から決まった形は、時代が変わってもあまり古びないのかもしれません。

作業着から、街の上着へ

この上着が作業場の外で知られるきっかけのひとつに、ニューヨーク・タイムズで長く街のファッションを撮り続けた写真家、ビル・カニンガムの存在があります。彼はパリの百貨店BHVで青い作業着を見つけ、フィルムを入れておけるポケットの多さを気に入って、撮影のときにいつも着ていたと伝えられています。流行を追う仕事をしていた人が、流行と関係のない作業着を選び続けたことは、多くの人の印象に残ったようです。

今もフランスでは、この形の作業着をつくり続けている工房があります。たとえばブルゴーニュ地方のディゴワンにある「ル・ラブルール」は、1956年にイタリア系移民のプリモ・ゼランティが始めた会社で、大工や屋根職人のための作業着を中心に、ヨーロッパのほかアメリカや日本などにも届けていると報じられています。

古着のブルー・ド・トラバイユには、前の持ち主の仕事の跡が残っていることがあります。肘の擦れ、ポケットの角の色落ち、繕われた袖口。同じ形で何十年も作られてきた服は、新品と古着が同じ棚に並んでも違和感がなく、次の人に渡りやすい服でもあります。色の抜け方がそれぞれ違うのは、それぞれの一着がちがう時間を働いてきたからなのだと思います。

ほかの物語を読む 古着ガイドへ