ダッフルコート——トグルで留める海のコート
フードに、木や角のトグル。ダッフルコートは、寒い海の上で手袋をしたままでも着脱できるように考えられた服です。軍の放出品から街の定番になるまでの道のりをたどります。
冬になると、古着屋のラックにキャメルや紺の厚手のコートが並びはじめます。その中で、ボタンの代わりに細長い留め具が縦に並んでいるものがあれば、それがダッフルコートです。フードがついていて、前は紐の輪に木や角のトグルをくぐらせて留める。少し素朴に見えるこのつくりにも、ひとつずつ理由があります。
名前はベルギーの町から
「ダッフル」は、ベルギーのアントワープ州にある町、ドゥッフェル(Duffel)の名前に由来するとされています。この町は、粗く厚いウールの布の産地として知られ、その布がやがて町の名前で呼ばれるようになりました。布の生産は15世紀ごろから続いていたとする資料もあり、起源の時期には諸説があるようです。
ピーコートと同じように、ダッフルコートもまた、形より先に布の名前がありました。風を通しにくく、湿気にも強い、目の詰まった重いウール。そうした布の性質が、のちに海の上で着るコートに選ばれる理由になっていきます。
手袋のままで留められる服
ダッフルコートのいちばんの特徴は、トグルと呼ばれる留め具です。太いロープの輪に、木や角でできた棒状のトグルを引っかけて前を閉じます。小さなボタンを穴に通すのは、厚い手袋をしていると難しいものです。トグルなら、手袋をしたままでも扱える。英国のメーカー、グローヴァオールも、この留め方がボタンにはできないかたちで手袋の手に応えるものだと説明しています。
フードと留め具を一体にした上着の原型としては、1820年代に考えられたポーランドの軍用フロックコートの影響を挙げる説もあります。19世紀半ばにはこうした形がヨーロッパに広がっていたとされています。
英国海軍の「コンボイ・コート」
1890年代には、英国海軍省がこのコートを複数のメーカーからまとめて購入し、海軍で使うようになったとされています。艦内では「コンボイ・コート」とも呼ばれていたようです。第一次世界大戦ではキャメル色のものも支給されました。
第二次世界大戦では広く支給され、北大西洋や北極海を進む船団の乗組員など、厳しい寒さの中で働く人たちの防寒着になりました。陸軍のバーナード・モントゴメリー元帥がこのコートを好んで着ていたことから、英国では「モンティ・コート」という愛称でも呼ばれるようになったとされています。
放出品から学生の定番へ
戦争が終わると、軍には大量のダッフルコートが残りました。1951年、手袋と作業着の卸売を営んでいたハロルドとフリーダのモリス夫妻が、この余剰のコートを引き受けて販売を始めます。社名のグローヴァオール(Gloverall)は、もとの商売だった「グローブ」と「オーバーオール」を合わせたものだそうです。
安く手に入る放出品のコートは、1950〜60年代の英国で、とくに学生たちのあいだで広く着られるようになったとされています。在庫が尽きたあと、同社は1954年ごろから自社で作りはじめ、ロープの代わりに革のループ、水牛の角のトグルを使うなど、軍の型を受け継ぎながら少しずつ手を加えていきました。
直しながら長く着る
ダッフルコートは、つくりがとても単純な服です。厚いウールの身頃に、フードとトグル。傷みやすいのは、留め具の紐や革のループ、トグルそのもの、そして袖口や裾の擦れといった、外から見てわかる部分です。紐が切れても付け替えられ、トグルが割れても替えがききます。直す場所がはっきりしていることは、長く着られる服の条件のひとつかもしれません。
百年以上前に海の上で決まった形は、今もほとんど変わっていません。古着屋でダッフルコートを見つけたら、トグルをひとつ留めてみてください。手袋をしたままでも留められるその手ざわりに、この服が受け継がれてきた理由が残っています。
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