トレンチコート——塹壕の名を持つ雨の日のコート
肩のストラップ、腰のベルト、袖口の留め具。トレンチコートには、いまの暮らしでは使い道の少ない細部がたくさん残っています。雨と泥の中で生まれた形が、なぜ100年以上ほとんど変わらずに着られてきたのかを見ていきます。
古着屋のアウターの棚で、ベージュのトレンチコートはいつも一定の場所を占めています。数十年前に仕立てられたものでも、形だけを見ると、いま新品で売られているものとほとんど区別がつきません。ダブルの前合わせ、肩のストラップ、腰のベルト、袖口のベルト。ひとつひとつの細部には、もともとはっきりした役目がありました。
ゴム引きの重いコートと、ギャバジンの発明
19世紀の防水コートは、布にゴムを引いたものが主流でした。雨は通しませんが、空気も通さないため、着ていると内側が蒸れて重くなります。この問題に取り組んだのが、イギリスの服地商トーマス・バーバリーでした。
バーバリーは1879年にギャバジンという布を考案し、1888年に特許を取得したとされています。糸の段階で撥水処理をほどこし、目を詰めて綾織りにした布で、雨をはじきながらも空気は通します。軽く、破れにくいことも特徴でした。いっぽう、同じロンドンのアクアスキュータムは1850年代に創業し、防水加工したウールで知られていました。社名はラテン語の「水(aqua)」と「盾(scutum)」を組み合わせたもので、クリミア戦争(1853〜1856年)では将校に防水コートを納めていたとされています。
塹壕のために足された肩章とDリング
バーバリーは1901年に陸軍将校向けのレインコートを陸軍省に提案し、1912年にはボタンを使わずベルトで前を留める「タイロッケン」というコートの特許を取得しています。これがトレンチコートの前身とされるものです。
第一次世界大戦が始まった1914年、陸軍省の依頼を受けて、このコートに肩章(エポーレット)とDリングが加えられました。肩章は階級章を付けるためのもので、腰のベルトに付いたDリングは、地図ケースや剣などの装備を吊り下げるためのものでした。手榴弾を下げるためという説もよく語られますが、これは俗説とされています。袖口のベルトは、雨の中で双眼鏡を構えたときに、水が腕を伝って袖の中に入らないように絞るためのものでした。
「トレンチ」は英語で塹壕のことです。泥と雨の続く塹壕で着られたことから、この名前で呼ばれるようになりました。ただし、イギリス陸軍でトレンチコートは支給品ではなく、将校などが自費で購入する任意の装備で、兵卒が着ることは認められていなかったとされています。
戦争が終わっても、コートは残った
戦争が終わると、多くの帰還兵がこのコートを手放さず、そのまま日常で着るようになったとされています。軍のための機能は、都市の雨の日にもそのまま役に立ちました。やがて女性も着るようになり、トレンチコートは男女を問わない定番のコートになっていきます。
その後、映画『カサブランカ』でハンフリー・ボガートが着た姿などを通じて、トレンチコートは「街で着るコート」としての印象を強めていきました。現在の暮らしで肩章に階級章を付ける人はほとんどいませんし、Dリングに地図ケースを下げる人もいません。それでも、多くのトレンチコートはこれらの細部を省かずに作られています。
細部が残り続けると、服も残り続ける
トレンチコートの形がほとんど変わらないことは、古着として見たときに大きな意味を持ちます。形が変わらない服は「古い型」になりにくく、数十年前のものでも、いまの服と並べて違和感なく着ることができます。ギャバジンのような目の詰まった布は、傷みにくいうえに、ボタンの付け替えや裾・袖丈の直しもしやすい素材です。
もちろん、古着のトレンチコートを選ぶときは、肩や袖口の擦れ、裏地の傷み、撥水性の低下などを確かめる必要があります。撥水は、専門のクリーニング店で再加工できる場合もあります。直しながら着ることを前提にすれば、一着のコートが持ち主を替えながら長く使われていく余地は十分にあるように思います。
古着屋でトレンチコートを手に取ったら、肩のストラップや腰のDリングを指でたどってみてください。100年前の塹壕で必要だった形が、いまもそのまま残っていることがわかります。
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