チノパン——軍のカーキが日常着になるまで
ベージュの綿のズボンは、いまでは仕事にも休日にも穿かれています。もとは19世紀の軍服のために生まれた丈夫な綾織りの綿布でした。チノパンがどのようにして日常着になり、なぜ古着として長く残るのかを見ていきます。
古着屋のパンツの棚には、デニムと並んでベージュの綿のズボンが必ずといってよいほど並んでいます。チノパン、あるいはカーキパンツと呼ばれるこのズボンは、特別な装飾のない、ごく素朴な服です。けれども、その生地と色をさかのぼると、19世紀の軍隊にたどり着きます。
「土の色」と呼ばれた軍服の色
チノパンの色として知られるカーキは、ヒンドゥスターニー語で「土の色」を意味する言葉に由来し、さらにペルシア語の「土(khāk)」にさかのぼるとされています。この言葉は、イギリス領インドの軍隊を通じて英語に入りました。
1846年12月にインドで編成された「ガイド部隊(Corps of Guides)」は、カーキを着た最初の部隊とされ、1848年にはカーキの制服が導入されたと記録されています。それまでの軍服は赤や青などの鮮やかな色が多く、遠くからでもよく目立ちました。土ぼこりに溶け込む色は、のちの迷彩につながる考え方の先がけだったともいわれています。
その後、イギリス軍は1868年のアビシニア遠征で公式にカーキを着用し、1902年には制服に採用しました。アメリカ陸軍も、1898年の米西戦争の際に、それまでの青い野戦服に代わってカーキを採用したとされています。
チノクロスという綾織りの綿布
チノパンの生地はチノクロスと呼ばれる綿の綾織り(ツイル)です。もとは綿100%で織られ、目が詰まっているため丈夫で、厚すぎず、暑い土地でも穿きやすい布でした。簡素で丈夫で着心地がよいことが、軍服の生地として選ばれた理由とされています。
「チノ」という名前の由来ははっきりしていません。米西戦争後にフィリピンに駐留したアメリカ兵が、中国で作られた生地を、スペイン語で「中国の」を意味する chino で呼んだという説がよく知られています。ほかに、スペイン語で「焼けた色」を意味する言葉に由来するという説もありますが、どちらも確かな記録で裏づけられているわけではないようです。
余った軍服がキャンパスの定番に
チノパンが日常着として広く穿かれるようになったのは、第二次世界大戦が終わった後とされています。1945年に戦争が終わると、大量の軍用ズボンが軍の放出品店を通じて市場に出回りました。同じころ、復員兵の大学進学を支援する制度(GI Bill)によって多くの元兵士が大学に入学し、支給されていた綿のズボンをそのままキャンパスで穿いていたと伝えられています。
こうしてチノパンは、ブレザーやポロシャツと合わせる大学生の装いの一部となり、のちに「アイビー」や「プレッピー」と呼ばれるスタイルの定番になっていきました。
形が変わらない服は、古着になっても穿ける
チノパンは、時代によって太さや丈が少しずつ変わってきましたが、綿の綾織りでベージュ系の色という基本は100年以上ほとんど変わっていません。そのため、数十年前のものでも「古い型」に見えにくく、いまの服と合わせやすいという特徴があります。
目の詰まった綿の綾織りは、擦れや破れに比較的強い布です。裾上げや丈詰め、ボタンやファスナーの交換、擦り切れた部分の補修といった直しにも向いています。古着屋では、軍の放出品や、その形を受け継いだワークブランドのものが見つかることもあります。ポケットの形や縫製、ファスナーの種類などで年代を推測する楽しみもあります。
新しく買うことが悪いわけではありませんが、すでにある一本を選べば、新たに綿を育てて布を織る負荷を使わずに済みます。古着屋でチノパンを手に取ったら、その色が「土の色」から始まったことを思い出してみてください。
掲載時点の情報です。内容には諸説ある場合があります。