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絣——糸を先に染めて柄を織る布

織る前の糸を部分的に括って染め、その糸で柄を織り出す絣。かすれた輪郭の模様は、普段着として何度も洗われ、着古されながら受け継がれてきた布の表情でもあります。

/ FURUGI LOOP 編集部 / 受け継がれる布・民族衣装

紺地に白い十字や井桁が、少しにじんだように並ぶ布。絣(かすり)は、模様をあとから描いたりプリントしたりするのではなく、織る前の糸そのものを染め分けておき、織り上げたときに柄が現れるようにした織物です。輪郭がほんの少しずれて、かすれたように見えるところに独特の味わいがあります。

糸を括って染める——絣の仕組み

絣の糸づくりでは、柄にしたい部分を紐できつく括ってから染めます。括った部分には染料が入らず、白く残ります。こうしてまだらに染め分けた糸を、図案どおりに位置を合わせて織っていくと、白い部分が集まって模様になります。

染め分けた糸を経糸に使うものを経絣、緯糸に使うものを緯絣、両方を合わせるものを経緯絣と呼び分けるとされています。糸の位置がわずかにずれることで生まれる「かすれ」は、手仕事の不正確さではなく、この技法ならではの表情と言えそうです。

同じ発想の織物は世界各地にあり、染織の用語としてはマレー語由来のイカット(結ぶ・括るの意味)が広く使われています。起源はインドとされることが多いものの、古い遺品が少なく確定はしていないようです。日本の絣は、琉球を経て伝わった織物の影響を受けながら、各地の木綿産地へ広がっていったとされています。日本語の「かすり」の語源にも、模様がかすれて見えるからという説と、琉球での呼び名に由来するという説があります。

着古した着物の白い斑点から——久留米絣

日本の絣のなかでもよく知られているのが、福岡県筑後地方の久留米絣です。久留米市の資料によると、創始者とされる井上伝は1788年に久留米の米屋に生まれました。12〜13歳のころ、古い着物にできた模様のような白い斑点を不思議に思い、布をほどいて経糸と緯糸を調べたと伝えられています。

そこから、染める前に糸を間隔をあけて括り、藍で染めて柄を出す方法を思いつき、試行錯誤のすえに絣模様を織り上げたとされています。40歳のころには400人をこえる女性に技法を教えたといいます。着古されて色が抜けた布が、新しい柄のヒントになったという話は、服の寿命を考えるうえでも印象に残ります。

色の抜けた古着の斑点が、新しい布の柄になった。

明治以降、久留米絣は全国に広まり、1957年4月25日には国の重要無形文化財に指定されました。手括り、藍建て、藍染め、手織りなど、図案づくりから検査まで約30の工程があるとされています。福岡県の広報誌でも、工程は全部で30ほどと紹介されています。

普段着の布として、各地で受け継がれる

江戸時代の中ごろから庶民のあいだに木綿が普及するのにあわせて、絣の技法も各地に広がり、明治時代に最盛期を迎えたとされています。久留米絣のほか、伊予絣(愛媛)、備後絣(広島)は日本三大絣と呼ばれることがあります。伊予絣にも、鍵谷カナという創始者の名が伝わっています。

辞典の説明では、絣はもともと普段着の布で、紺絣は農家の仕事着にも使われていたようです。藍で何度も染め重ねた木綿は丈夫で、洗うほどに色がやわらいでいきます。普段着として着られ、ほどいて仕立て直され、布団や小物になっていく。絣は、そうした使い回しのなかで長く生きてきた布でもあります。

古着の絣を手に取るときに

現在の久留米絣は、着物だけでなく、もんぺやスカート、シンプルな柄やポップな色合いの製品としても作られています。一方で、古着や古布として出回る絣には、昔の普段着や布団地がほどかれたものも多く見られます。

柄の輪郭が少しずれていたり、藍がところどころ褪せていたりするのは、括って染め、手で織り、長く使われてきた証かもしれません。新しい服を否定する必要はありませんが、すでにある絣の布を選ぶことは、何十年も前に染められた糸にもう一度役目を与えることでもあります。白い斑点から柄を思いついた少女の話のように、古い布にはまだ次の使い道が残っているのかもしれません。

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