LONG LIFE STORY寿命 世代をこえて

モラ——布を重ねて切り抜くパナマの手仕事

色の違う布を何枚も重ね、上から切り抜いて下の色をのぞかせる。パナマのグナの女性たちが作るモラは、毎日着る服の一部であり、暮らしと誇りを映す布として受け継がれてきました。

/ FURUGI LOOP 編集部 / 受け継がれる布・民族衣装

赤、オレンジ、黒。鮮やかな色が迷路のように入り組み、輪郭のまわりに細い線が何重にも走る布。モラは、中米パナマのカリブ海側に暮らすグナ(クナ)の人々、なかでも女性たちが作ってきた手芸です。壁に飾る作品として目にすることも多いのですが、もともとはブラウスの胸元と背中に縫い付ける、毎日着る服の一部でした。

リバースアップリケという技法

モラの模様は、布を「足す」のではなく「切って見せる」ことで生まれます。色の違う綿布を2枚から7枚ほど重ねて留め、上の布に切り込みを入れて下の色をのぞかせる。切り口は内側に折り込み、目立たない細かな針目で縫い留めていきます。この技法はリバースアップリケ(逆アップリケ)と呼ばれています。

上から布を縫い付ける通常のアップリケや刺繍を組み合わせることもあり、重ねる枚数が多く、針目が細かいものほど手間のかかった品とされています。1枚を仕上げるのに、2週間から半年ほどかかると紹介されることもあります。モラは前身頃と後身頃の2枚で1組になるため、ブラウス1着分にはその倍の時間が必要になります。

「モラ」という言葉は、グナの言葉で服や布を指すとされています。いまではこの技法で作られたパネルそのものを呼ぶ名前として広く使われています。

体に描いた模様が、布の上へ

モラの起源については諸説あります。グナの人々はかつて体に幾何学的な模様を描いていたとされ、その模様がやがて布の上に移っていったという見方があります。クリーブランド美術館の解説によると、いまのようなモラが作られるようになったのは20世紀に入るころで、そのころグナの人々はすでに外部との交易を通じて布や糸、針を手に入れていたとされています。

初期のモラは大きくゆったりとしていて、抽象的な模様が多かったようです。20世紀の半ばにかけて小ぶりで体に沿うかたちになり、色も明るくなっていきました。図柄も幾何学模様や神話、動植物のほか、ポスターや身の回りの品物まで取り込まれるようになります。世代ごとに流行が変わる、生きた日常着だったことがうかがえます。

切り抜かれた布の重なりは、そのまま着る人の暮らしと誇りの重なりでもありました。

モラを着ることが、意思表示になった時代

モラの歴史を語るうえで欠かせないのが、1910年代後半から1920年代にかけての出来事です。当時のパナマ政府はグナの人々を同化させる政策を進め、モラを含む伝統的な装いを禁じようとしました。クリーブランド美術館の解説では、モラを作り、身に着けること自体が政治的な抵抗のかたちになったと説明されています。

1925年、グナの人々は蜂起し、自分たちの文化を保ち、自分たちのことを自分たちで決める自由を勝ち取ったとされています。その後1938年には、居住地域の自治が認められました。現在のグナ・ヤラ自治区のなりたちを語るとき、モラが果たした役割は大きかったと言われています。一枚の布が、民族の誇りを守るしるしとして着られてきたことになります。

着古したモラの、その先

モラは日常着なので、着ているうちに色があせ、縁には縫い付けていた跡が残ります。グナの女性たちは、柄に飽きたり着古したりしたブラウスからモラを外し、単体で手放すこともあるようです。外されたモラは、観光客やコレクターの手に渡ったり、クッションや額装の作品に仕立て直されたりしています。

外されたモラに残る色あせや縫い跡は、それが実際に誰かに着られていた証として大切にされることがあります。観光向けに作られたものと区別する目印にもなるそうです。服としての役目を終えたあとも、布は別のかたちで次の持ち主のもとへ渡っていきます。

海外の美術館には、熱帯の気候で傷みやすいモラを守るために集められたコレクションも残されています。何年もかけて縫われた布が、着る人を替え、場所を替えて生き続けている。古着を手に取るときに感じる「前の持ち主の時間」は、モラにもはっきりと刻まれているように思います。

ほかの物語を読む 古着ガイドへ