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芭蕉布——糸芭蕉の繊維から織る沖縄の布

バナナの仲間である糸芭蕉の繊維から糸をつくり、手作業で織り上げる芭蕉布。畑を育てるところから始まる布は、戦後に途絶えかけながら、沖縄本島北部の小さな集落で受け継がれてきました。

/ FURUGI LOOP 編集部 / 受け継がれる布・民族衣装

広げると向こう側が透けて見えるほど薄く、軽い布。沖縄の芭蕉布は、そんなふうに紹介されることの多い織物です。原料は、バナナの仲間である糸芭蕉という植物。木綿や麻のように糸を買ってくるのではなく、植物を育てるところから布づくりが始まります。

王族から庶民まで着た、糸芭蕉の布

芭蕉布は、亜熱帯に育つ糸芭蕉の葉柄(葉の茎の部分)からとれる繊維で織る布です。琉球王国の時代からつくられてきたとされ、王族だけでなく庶民にまで広く着られていたと伝えられています。

風が通りやすく、肌に張りつきにくい布は、暑い土地の暮らしに合っていたのでしょう。布の目や袖口から風が抜けていくため、着物の衿を大きく抜く必要がないと語られることもあります。気候に合わせて選ばれた素材が、長い時間をかけてその土地の布になっていった例と言えそうです。

畑から始まる、約23の手作業

現在、芭蕉布の産地として知られるのが、沖縄本島北部の大宜味村喜如嘉(きじょか)です。喜如嘉では、良質な糸をとるために糸芭蕉をおよそ3年かけて育てるとされています。柔らかく水分をよく含んだ糸芭蕉にするには、畑の手入れに時間がかかるようです。

刈り取った糸芭蕉から繊維を取り出し、煮て柔らかくし、細く裂いてつなぎ、糸にしていきます。糸を染め、絣の技法で模様をつくり、織り上げる。喜如嘉では、糸芭蕉から芭蕉布ができるまで約23の工程がすべて手作業で行われていると紹介されています。

工程のなかで大切な役割を担うのが、木を燃やした灰からつくる木灰汁(もくあく)です。農研機構の研究報告によると、木灰汁は原皮から繊維を取り出すとき、染める前、そして仕上げの段階で使われ、その性質が糸や布の質を左右するとされています。調合は作り手の経験による判断に頼る部分が大きいとも書かれています。

糸を買うのではなく、糸になる植物を育てる。布の寿命は、畑の時間から数えはじめるのかもしれない。

途絶えかけた布を、喜如嘉が受け継いだ

戦後、芭蕉布は一度消えかけたとされています。その復興に力を尽くしたのが、喜如嘉出身の平良敏子(たいら・としこ)さんです。琉球新報の報道によると、平良さんは戦後、岡山県倉敷で倉敷紡績の大原総一郎氏らから沖縄の織物の復興を託され、27歳で故郷に戻りました。

喜如嘉で糸芭蕉の畑を育て直し、工房をつくり、集落の女性たちとともに芭蕉布を織り続けたことで、技術は現代へつながりました。1972年には沖縄県指定無形文化財「芭蕉布」の保持者となり、1974年には集落の共同作業による「喜如嘉の芭蕉布」が国の重要無形文化財に指定されています。平良さん自身も2000年に重要無形文化財「芭蕉布」の保持者、いわゆる人間国宝に認定され、2022年に亡くなりました。

2025年には、国立工芸館で重要無形文化財の指定から50周年を記念する展覧会が開かれ、平良さんとその工房の作品が紹介されました。

自分たちで育て、選び、織るということ

糸を自分たちでつくる織物の産地は、いまでは少なくなっています。そのなかで芭蕉布は、植物を育て、繊維を選び分け、その糸で布を織るまでを産地のなかで一貫して行う方式を保っているとされています。平良さんは生前、それを全部自分たちでやることが芭蕉布だという趣旨の言葉を残しています。

喜如嘉にある大宜味村立芭蕉布会館では、芭蕉布づくりの工程を見学することができます。一枚の布の向こうに、3年分の畑の時間と、20を超える手仕事が重なっている。そう考えると、服を長く大切に着る理由がまたひとつ見えてくるように思います。

手元にある服も、もとをたどれば畑や牧場から始まっています。芭蕉布ほど手間が見える布は多くありませんが、どの服にも見えない時間が含まれています。その時間に少し思いを向けることが、服を長く着ることにつながっていくのかもしれません。

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