サリーの来世——カンタ刺繍というリサイクル
着古してやわらかくなったサリーを何枚も重ね、ひたすら走り縫いで留めていく。ベンガル地方の「カンタ」は、服が終わったあとから始まる手仕事のようです。
服が寿命を迎えたとき、その先に何が残るでしょうか。日本では雑巾になって終わることが多いかもしれません。インド東部からバングラデシュにかけてのベンガル地方には、そこからもう一段だけ長く続く道筋があります。カンタ(kantha)と呼ばれる、古布を重ねて刺し縫いした布です。
「切らない服」だから、次に渡せる
カンタの材料になるのは、主に着古したサリーです。サリーは裁断も縫製もされていない一枚の布で、ウィキペディアの記述では長さ約4.1〜8.2メートル、幅60〜120センチほどの織物を体に巻きつけて着るものだとされています。
ここが大きな分かれ目のように思えます。裁って縫った服は、寿命が来ると縫い目ごとに小さな断片へ戻ってしまいます。けれど一度も切られていない布なら、着られなくなった時点でも、まだ数メートルの生地のままです。次に何をするかを、そこから選べます。
3〜7枚を重ねて、走り縫いで留める
作り方はごくシンプルです。ベンガル地方の百科事典バングラペディアの解説によれば、古くなったサリーやドーティ、ルンギを3枚から7枚ほど重ね、単純な走り縫い(ランニングステッチ)でひたすら留めていくと説明されています。厚みは重ねる枚数で決まり、必要な暖かさに合わせて調整されました。
ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館は、カンタを「南アジアのキルトの伝統」として、綿を詰めない平らなキルティングだと紹介しています。同館の解説では、装飾に使う色糸もサリーの縁(ボーダー)からほどいて取った糸が使われたと記されています。布も糸も、その場にあるものだけで完結していたことになります。
用途に名前がついていた
興味深いのは、できあがった布の使い道に細かく名前がついていることです。バングラペディアは、冬用の掛け布団になるレップ・カンタ、敷物や掛け布になるスジニ・カンタ、一辺30センチほどのハンカチにあたるルマル・カンタ、座布のアーサン、衣類を包むバスタニ、鏡や身のまわりの品を包むアルシラタ、食事のときに床に敷くダスタルカン、経典を包むギラフ、礼拝用の敷物ジャイナマズなどを挙げています。
ひとつの技法から、寝具も、包み布も、儀礼の道具も生まれていました。大きく丈夫な布は寝具に、小さくなった布は包みや敷物に。素材の残り具合に合わせて用途を下げながら、使い切っていく仕組みが、名前のかたちで残っているように見えます。
模様が物語になる
刺し縫いはやがて絵を描き始めます。模様のあるものは「ナクシカンタ」と呼ばれ、蓮を中心に置いた構図、渦を巻く唐草、生命の樹、カルカ(ペイズリー)の文様、象や虎、馬、孔雀、舟や車、さらには台所道具までが縫い込まれました。決まった型紙をなぞるのではなく、作り手の暮らしがそのまま図になっていきます。
この呼び名を広く知らせたのが、詩人ジャシムッディンの叙事詩『ナクシ・カンタル・マト』(1929年)だとされています。日用品として家の中にあった布が、文学によって名前を持ったという流れです。
家の中の布が、工芸として残るまで
カンタは長く、売り物ではなく家族のために縫われるものでした。現在ではコルカタのアシュトシュ博物館やバングラデシュ国立博物館にまとまった収蔵があり、V&Aが所蔵する例の多くは20世紀初頭のものだと紹介されています。インドでは2008年に地理的表示(GI)として登録され、バングラデシュでも「ジャマルプール・ナクシカンタ」の名で登録されています。
一方で、現代のカンタには新しい綿布から作られるものも増えています。V&Aは、カンタという語が今では「もの」よりも「縫い方」を指すようになったと説明しています。古布のリサイクルとして始まった技法が、技法だけ独立して広まっている状態と言えそうです。だからこそ、買うときに「これは何からできているのか」を見る意味は、少し増えているのかもしれません。
私たちのクローゼットの服はほとんどが裁断され、縫い合わされていて、サリーのようには次へ渡せません。それでも、着られなくなった一枚を前にして「この布はまだ何メートルあるだろう」と考えてみることはできます。新しい服が悪いのではなく、すでにある布をもう一度だけ数えてみる。カンタの走り縫いは、そのひと呼吸ぶんの余白を教えてくれるように思います。
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