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バティック——ろうけつ染めが生むインドネシアの布

熱い蝋で点と線を描き、染めては蝋を落とす。インドネシアのバティックは、赤ちゃんの抱っこ布から婚礼、弔いまで、人の一生に寄り添ってきた布です。その作り方と、受け継がれてきた理由を見ていきます。

/ FURUGI LOOP 編集部 / 受け継がれる布・民族衣装

古着屋やアンティークの布を扱うお店で、細かな点や曲線がびっしりと描かれた布を見かけることがあります。茶色や藍色の地に、斜めに流れる帯や花、鳥のような模様が並ぶ布は、インドネシアのバティックかもしれません。日本では「ジャワ更紗」と呼ばれることもある、ろうけつ染めの布です。

蝋で描いて、染めて、落とす

バティックは、布に熱く溶かした蝋で模様を描き、その部分だけ染料が入らないようにして染める技法です。ユネスコの紹介では、職人が点と線で蝋を置き、植物などの染料に浸し、蝋を落としてはまた置き直す、という工程をくり返して色を重ねていくと説明されています。色の数だけ、蝋を置いて染める作業が必要になります。

蝋を置く道具には、大きく2種類あります。ひとつは「チャンティン」と呼ばれる、銅の小さな壺に細い注ぎ口がついたペンのような道具です。これで手描きしたものは「バティック・トゥリス(描くバティック)」と呼ばれ、細かな模様を表現できる一方、とても手間がかかります。もうひとつは「チャップ」という銅製の型で、蝋をスタンプのように押していくものです。19世紀から20世紀にかけて広まったとされ、同じ模様を早く、多く作れるようになりました。どちらも、蝋を置いて染め、蝋を落とすという基本の流れは同じです。

「バティック」という言葉はジャワ語に由来するとされています。「描く」と「点」を組み合わせた言葉だという説明もよく見かけますが、はっきりした根拠はないとも指摘されています。

生まれてから、見送られるまで

バティックの特徴は、布が人の一生と深く結びついていることです。ユネスコによると、赤ちゃんは幸運を願う模様が描かれたバティックの布で抱かれ、結婚式や妊娠にまつわる儀礼には特別なバティックが使われ、亡くなった人は弔いのためのバティックで包まれるとされています。影絵芝居などの舞台でも使われてきました。

生まれたときに包まれる布と、見送られるときに包まれる布が、同じ技法でつくられています。

模様にも、さまざまな背景があります。アラビア文字の書、ヨーロッパの花の模様、中国の鳳凰、日本の桜、インドやペルシャの孔雀など、交易を通じて入ってきた多くの文化の影響が見られるとされています。島や町ごとに色や模様の傾向が異なるのも、バティックのおもしろいところです。

着てよい人が決まっていた模様

ジャワの王宮では、模様そのものに身分の意味がありました。ジョグジャカルタのソノブドヨ博物館によると、1785年にスルタン・ハメンクブウォノ1世が、斜めの帯が連なる「パラン・ルサック」を「禁じられた模様(バティック・ララガン)」と定めたとされています。王宮の中で限られた人しか身につけられない模様で、1927年には、どの身分の人がどの模様を着てよいかを定めた公的な文書も出されていたそうです。

いまでは町の中で誰もがパラン模様の服を着ていますが、王宮の儀礼の場ではこうした決まりが文化として大切にされているようです。模様ひとつに意味や物語が込められているからこそ、布が大事にされ、受け継がれてきたのかもしれません。

毎日着る服として、続いていく

2009年、インドネシアのバティックはユネスコの無形文化遺産に登録されました。登録された10月2日は、同じ年の大統領令で「ナショナル・バティック・デー」と定められ、この日には公務員をはじめ多くの人がバティックを着て過ごすとされています。伝統の布を、特別な日にしまっておくのではなく、ふだんの服として着続けていることが、この布を生かしている理由のひとつなのでしょう。

手描きのバティックは、何度も蝋を置いては染めるため、1枚に長い時間がかかります。そうした布は、親から子へ贈られたり、仕立て直されたりしながら、長く使われてきました。古着屋でバティックの布やシャツを見つけたら、模様が手で描かれたものか、型で押されたものか、裏側から見比べてみるのもおもしろいと思います。手で描かれた線は、どこか少しずつ揺らいでいるはずです。

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