ボタンダウンシャツ——ポロ競技の襟から生まれたかたち
襟先を小さなボタンで身頃に留める。いまでは当たり前のこのかたちは、19世紀末のポロ競技場で、風にはためく襟を押さえるための工夫だったとされています。
シャツの襟先に小さなボタンホールがあり、身頃のボタンで留めてある。ボタンダウンシャツは、ジャケットの下にも、Tシャツの上に羽織る一枚としても着られる、とても身近なシャツです。古着屋でも、オックスフォード生地のボタンダウンは定番の棚を占めています。けれども、襟先をわざわざボタンで留めるという工夫には、はっきりとした出どころがあるようです。
ポロ競技場で見た、はためかない襟
よく知られている話では、きっかけはイギリスのポロ競技です。ブルックス ブラザーズの創業者ヘンリー・サンズ・ブルックスの孫にあたるジョン・E・ブルックスが、イギリスでポロの試合を見たとき、選手たちが馬上で襟がはためかないよう、襟先を身頃に留めていることに気づいたとされています。
同社の公式サイトでは、観戦したのは1896年、ボタンダウンカラーを考案したのは1900年と紹介されています。資料によって年代には幅があり、1896年を発売の年とする説明もありますが、1900年前後にニューヨークで売り出されたという点はおおむね共通しています。同社はのちにこのシャツを「オリジナル ポロ ボタンダウン」と呼ぶようになりました。名前に残る「ポロ」は、競技場で見た工夫の記憶と言えそうです。
当時のシャツは襟を取り外して付け替える仕立てが主流でした。EBSCOの解説によると、取り外し式の襟は1930年ごろまでに廃れていったとされています。身頃に縫い付けられた、やわらかく巻くような襟を持つボタンダウンは、その変化を少し先取りしたシャツだったのかもしれません。
オックスフォード生地との組み合わせ
ボタンダウンと聞いて、多くの人が思い浮かべるのはオックスフォード生地ではないでしょうか。縦糸と横糸を2本ずつ引きそろえて織る、かごのような目の生地で、少し厚みがあり、風を通しながらも丈夫なのが特徴とされています。19世紀のスコットランドの織物工場が、オックスフォードやケンブリッジ、ハーバード、イェールといった大学の名前をつけた生地を売り出し、そのうちオックスフォードだけが残ったという話がよく紹介されますが、工場の名前などははっきりしていないようです。
ブルックス ブラザーズのクリエイティブ・ディレクターも、ボタンダウンカラーがいちばん映えるのは本来のオックスフォード生地だと語っています。オックスフォード・ボタンダウン、略して「OCBD」と呼ばれる組み合わせは、ネクタイを締めても、一枚で着ても成り立つ、幅の広いシャツとして定着していきました。
アイビーの定番、そして日本へ
EBSCOの解説では、第二次世界大戦後、ボタンダウンはアメリカで最も人気のあるシャツのかたちになり、1940年代後半から1950年代にかけてのアイビーリーグ・スタイルの一部になったとされています。同社の公式サイトによると、1949年には女性向けのピンクのオックスフォード・ボタンダウンも発売されました。
日本でこのスタイルが広く知られるきっかけのひとつが、1965年に出版された写真集『TAKE IVY』です。1959年から1965年にかけてアメリカの大学キャンパスで撮影された学生たちの装いを収めたもので、著者のうち2人はVANヂャケットに勤めていました。銀座に集まった若者たちのあいだでアイビースタイルが広まったとされ、ボタンダウンシャツもその中心にありました。原書はいまでは手に入りにくく、2010年には英語版も出版されています。
古着のボタンダウンを長く着るために
綿のシャツは消耗品と思われがちですが、オックスフォード生地のボタンダウンは、洗いを重ねるほどやわらかくなり、なじんでいく服でもあります。古着で選ぶときは、襟先や袖口、襟の折り山がすり切れていないかを見ておくと安心です。生地の傷みが小さければ、ボタンの付け替えや、袖口・襟の補修で着られる期間を延ばせることもあります。
アイロンをかけて襟をきちんと立てても、洗いざらしでくったりさせても、それぞれに似合う着方があるのもこのシャツの懐の深さです。競技場の小さな工夫から始まったかたちが、持ち主を替えながら着られ続けている。古着の棚に並ぶ一枚一枚にも、そんな時間が重なっているように思います。
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